学長室 - 日本武道学舎ブログ
日本武道学舎 学長・吉田始史のブログです。
空手や合気道など武道の稽古で感じたことや、健康に関すること、 本の出版に関することやエッセイ、メールマガジン情報などを書いています。
「猫の妙術」これはYouTubeでも紹介しています
2020-04-20 22:28
猫の妙術
これは山岡鉄舟が熟読したが弟子には見せなかったと言われ
ているものです。
粗筋としては一匹の大鼠がいて、これを捕まえる猫がいない
そこで三匹の猫を紹介して、大鼠を退治したのは何もしない
で自然体でいたから勝つことができたというものです。
最初の猫は「技に長けた猫」
古猫→技に長けた猫に言う
あなたのしてきた修行は、その中にある本質や原理を知らずに
形や動作を真似しただけだから「狙う」という心に囚われ、動
作にも現れる
人間には、自然な体の動き、自然な心の動き、またそれらの在
り方があるのかもしれませんが、同時に色々な欲求が渦巻いて
おり、それが心や体の動きを不自然にさせる
しかしそれが人間であるとも言えます。
原始人が自然なのか
命に執着し
漠然とした価値観には目も触れず現代流に言えば合理的なもの、
目に見えて証明しやすいものに価値を置くことに拘る。
確かに強くもなり色々なことができるようになり人にも認めら
れるようになりますが、結局は自分の立場や形にこだわります。
何か予想外のことが起きると対処できずにオロオロしてしまい
ます。
二匹目の猫
古猫→気力に長けた猫に言う
「お前の技は気の力に頼ろうとする物だ。相手の気に勝とうとす
ると、相手も必死の気力で向かってくる、所詮「気力も相対的な
ものでしかない」
一般的に言われる「あいつは気が強い」「気が弱い」や気迫・気
合いのレベルである。
負けん気が強く、気力はあるが死を覚悟した鼠には及ばない
喧嘩での気組み 組手と本番では違う
三匹目の猫
相手に和をもって挑むが自分の作り上げた自分勝手な和であった
ため、破れる。
古猫→和によって相手を制しようとする猫に言う
「お前のいう和は、自分に作り出した独りよがりの和で自然の和
ではない。そのような独りよがりの和は、所詮、和の真似事で、
技という武器から和という武器に変えたに過ぎない」
「そンな和では相手はそれを悟ってしまい、意味がなくなってしま
い、意味がなくなってしまう。本当の意味で我欲を消し、自然に振
る舞えば天下に敵はいなくなる」
アルファベットも書けないのに文章は書けないでしょうし、腕立て伏
せもできないのに達人は目指せないでしょう。
我をなくすと言いますが、「我欲無くして何のさとりか」と禅の高僧
も言っておりますから、初めに「我」ありき、なのでしょう。
最後にたしたことのないと思われていた一匹の古猫
自分の術について語ります。
「何も思わず、唯自然に応じるだけである」
それは我と宇宙が一体化していて、全ての囚われから解放されている
ため「自分」と「相手」の区別がつかなくなっている状態であると。